《秀吉~バテレン追放令と唐入りの真実》
しばらく中断していましたが、思い立って再開します。本日は日本歩守った秀吉の偉大さを知る授業です。
《秀吉~バテレン追放令と唐(から)入りの真実》
なぜキリスト教を禁止し、朝鮮に出兵したのか?
※ 授業の流れを追うように記述します。
※ ( )内は、板書して生徒に書き込ませます。
①豊臣秀吉の時代。スペインとポルトガルは、なんと一人の王によって統治されることになりました。
世界中に広大な植民地を持つ世界最強の王、その名は(1 フェリペ2世 )。
②ヨーロッパ人は日本で、キリスト教の布教以外にも、ある事をしていました。
〔資料1〕 パゼー「日本耶蘇(やそ)教史」(耶蘇=キリシタンのこと)
ポルトガルの商人は日本人を奴隷として連れ去った。奴隷の多くは船中で死んだ。
なぜなら、彼らをむやみに積み重ね、極めて悪い環境に置き、一度病気になったら、
一切食料を与えなかったためである。
↓
●ここからわかることは…
日本人を (2 奴 隷 )として売買していた!
●秀吉の行動は…?
〔資料2〕
【1587年 秀吉が、イエズス会日本準管区長ガスパル・コエリヨに出した「五か条の詰問(きつもん)」】
その五 何ゆえにコエリヨは自国の国民が日本人を買い、これを奴隷としてインドに輸出
するのを認めるのか。答えよ。
【大村由己(ゆうき)(秀吉の側近)の書状より】
バテレンらは様々な宝物を山と積み、日本人を数百、男女によらず、黒船へ買い取り、手足
に鉄の鎖をつけ、船底へ押し込め…畜生道(ちくしようどう)の有り様だ。(秀吉様は)ありがた
いことに慈悲(じひ)の心を持って、バテレンの坊主を追い払うようにおっしゃったのである。
↓
●秀吉は天下人として、日本を守るために(3 バテレン追放令 )を出した!
③さらに1588年、秀吉は長崎を没収する。
なぜなら、長崎はキリシタン大名の大村純忠(すみただ)がイエズス会に寄付して「教会領」になり、
要塞になっていたからである。
↓
次からスペインの作戦を読み取ろう。
〔資料3〕
【1583年、マニラ司教サラサールがスペイン国王に送った手紙】
シナ(中国)の統治者達が、キリスト教の布教を妨害しています。これは、武装してシナに
攻め入る正当な理由になります。これを、もっと簡単に進めるには、すぐ近くにいる日本人を
加えると良いでしょう。日本人に必ずイエズス会の命令に従うように命令することです。
【1585年、コエリヨが、フィリピン・イエズス会布教長に送った手紙】
日本へ軍隊を派遣し、もしも日本すべてがキリスト教に改宗すれば、陛下は日本人のように
好戦的でりこうな兵隊を得て、いっそう簡単にシナを征服できるでしょう。
↓
●スペインの狙いは?
日本の(4 キリシタン大名 )を利用して(5 明 )を征服する!
もしスペインが明国を支配したら、日本はどうなるか…。
かつての元寇を上まわる脅威に!!!
④これを阻止するため、秀吉は動きました。
朝鮮出兵の前年にスペインとポルトガルのアジア責任者あてに
出した秀吉の手紙は気合いが入っています!
〔資料4〕いまだにフィリピンは、私に挨拶(あいさつ)に来ない。ゆえに、兵を率い
て討とうと思っている。旗を倒し、速やかに降伏すべし。もし降伏しなけれ
ば、征伐(せいばつ)する。後で後悔するな。
↓
⑤こうして1592年、ついに秀吉は「唐入り(朝鮮出兵)」=(6 文 禄 の 役 )を決意する。
↓
秀吉軍は朝鮮で連戦連勝。明国から講和を求められ、休戦になりました。
↓
休戦の翌1597年。秀吉は捕らえた宣教師ら26人全員を長崎で処刑しました。
●どうして?
↓
〔資料5〕【1596年、サン・フェリペ号事件】
約300人の黒人奴隷を満載して、メキシコに移送中だったスペイン船サン・フェリペ号が土佐沖で座礁(ざしょう)した。
秀吉に派遣されて現地へ行った増田(ました)長盛はサン・フェリペ号の積み荷を没収した。
怒ったスペインの船員は、増田に抗議した。
その時、世界地図を見ながら増田(ました)は
「なぜ、スペインはこんなに広大な領土を持てるようになったのか」
と聞いた。
すると、スペイン人は平然として答えた。
「それは、まず宣教師を諸国に派遣し、そこの住民を信者にする。
その後、兵力を持って攻め込む時、その信者に反乱を起こさせ、
そのまま併呑(へいどん)(のみこむこと)するのだ」。
増田(ました)は戦慄(せんりつ)して秀吉に報告した。
↓
⑥「布教」と「征服」は、車の両輪の関係だったのである。
サン・フェリペ号事件で、秀吉は
「キリシタンを利用して、日本を(7 植 民 地 )にする」
というスペインの侵略意図を確信したのだった!
↓
【サン・フェリペ号事件を非難してきたフィリピン総督に対する秀吉の回答】
〔資料6〕 聞くところによれば、貴国は布教を通して謀略的(ぼうりやく)に外国を征服しようと
たくらんでいるということだが、もし我が国からあなたの国に入り込み、神道を説いて国民を
惑わすことがあったら、あなたは喜びはしないだろう。これを思え。
貴国の者らが我が国の法(バテレン追放令)にそむいたので、積み荷を没収したのである。
私の処置が間違っていると思うか。我が国民が、あなたの国であなたの法を守らなければ、
処罰していただいて結構だ。
⑦1597年、2度目の唐入りを開始=(8 慶 長 の 役 )。
↓
【まとめ】
1.秀吉は明国の向こうに何をにらみ、
本当はどこと戦っていたのですか?
→ 秀吉は、
フェリペ2世の(9 スペイン ・ ポルトガル )と戦っていた
→ 朝鮮出兵の目的は
「スペインに(10 明 )を取られる前に先手を打つ!」
2.秀吉の決意とは?
→「天下人として、
日本の(11 独 立 )を守る義務を果たす!」
●唐入りは、秀吉の死で終わりました。しかし、ヨーロッパとの戦いは終わってません。
キリスト教との戦いは、次の(12 徳川家康 )に引き継がれていくのでした!
終わり
《秀吉~バテレン追放令と唐(から)入りの真実》
なぜキリスト教を禁止し、朝鮮に出兵したのか?
※ 授業の流れを追うように記述します。
※ ( )内は、板書して生徒に書き込ませます。
①豊臣秀吉の時代。スペインとポルトガルは、なんと一人の王によって統治されることになりました。
世界中に広大な植民地を持つ世界最強の王、その名は(1 フェリペ2世 )。
②ヨーロッパ人は日本で、キリスト教の布教以外にも、ある事をしていました。
〔資料1〕 パゼー「日本耶蘇(やそ)教史」(耶蘇=キリシタンのこと)
ポルトガルの商人は日本人を奴隷として連れ去った。奴隷の多くは船中で死んだ。
なぜなら、彼らをむやみに積み重ね、極めて悪い環境に置き、一度病気になったら、
一切食料を与えなかったためである。
↓
●ここからわかることは…
日本人を (2 奴 隷 )として売買していた!
●秀吉の行動は…?
〔資料2〕
【1587年 秀吉が、イエズス会日本準管区長ガスパル・コエリヨに出した「五か条の詰問(きつもん)」】
その五 何ゆえにコエリヨは自国の国民が日本人を買い、これを奴隷としてインドに輸出
するのを認めるのか。答えよ。
【大村由己(ゆうき)(秀吉の側近)の書状より】
バテレンらは様々な宝物を山と積み、日本人を数百、男女によらず、黒船へ買い取り、手足
に鉄の鎖をつけ、船底へ押し込め…畜生道(ちくしようどう)の有り様だ。(秀吉様は)ありがた
いことに慈悲(じひ)の心を持って、バテレンの坊主を追い払うようにおっしゃったのである。
↓
●秀吉は天下人として、日本を守るために(3 バテレン追放令 )を出した!
③さらに1588年、秀吉は長崎を没収する。
なぜなら、長崎はキリシタン大名の大村純忠(すみただ)がイエズス会に寄付して「教会領」になり、
要塞になっていたからである。
↓
次からスペインの作戦を読み取ろう。
〔資料3〕
【1583年、マニラ司教サラサールがスペイン国王に送った手紙】
シナ(中国)の統治者達が、キリスト教の布教を妨害しています。これは、武装してシナに
攻め入る正当な理由になります。これを、もっと簡単に進めるには、すぐ近くにいる日本人を
加えると良いでしょう。日本人に必ずイエズス会の命令に従うように命令することです。
【1585年、コエリヨが、フィリピン・イエズス会布教長に送った手紙】
日本へ軍隊を派遣し、もしも日本すべてがキリスト教に改宗すれば、陛下は日本人のように
好戦的でりこうな兵隊を得て、いっそう簡単にシナを征服できるでしょう。
↓
●スペインの狙いは?
日本の(4 キリシタン大名 )を利用して(5 明 )を征服する!
もしスペインが明国を支配したら、日本はどうなるか…。
かつての元寇を上まわる脅威に!!!
④これを阻止するため、秀吉は動きました。
朝鮮出兵の前年にスペインとポルトガルのアジア責任者あてに
出した秀吉の手紙は気合いが入っています!
〔資料4〕いまだにフィリピンは、私に挨拶(あいさつ)に来ない。ゆえに、兵を率い
て討とうと思っている。旗を倒し、速やかに降伏すべし。もし降伏しなけれ
ば、征伐(せいばつ)する。後で後悔するな。
↓
⑤こうして1592年、ついに秀吉は「唐入り(朝鮮出兵)」=(6 文 禄 の 役 )を決意する。
↓
秀吉軍は朝鮮で連戦連勝。明国から講和を求められ、休戦になりました。
↓
休戦の翌1597年。秀吉は捕らえた宣教師ら26人全員を長崎で処刑しました。
●どうして?
↓
〔資料5〕【1596年、サン・フェリペ号事件】
約300人の黒人奴隷を満載して、メキシコに移送中だったスペイン船サン・フェリペ号が土佐沖で座礁(ざしょう)した。
秀吉に派遣されて現地へ行った増田(ました)長盛はサン・フェリペ号の積み荷を没収した。
怒ったスペインの船員は、増田に抗議した。
その時、世界地図を見ながら増田(ました)は
「なぜ、スペインはこんなに広大な領土を持てるようになったのか」
と聞いた。
すると、スペイン人は平然として答えた。
「それは、まず宣教師を諸国に派遣し、そこの住民を信者にする。
その後、兵力を持って攻め込む時、その信者に反乱を起こさせ、
そのまま併呑(へいどん)(のみこむこと)するのだ」。
増田(ました)は戦慄(せんりつ)して秀吉に報告した。
↓
⑥「布教」と「征服」は、車の両輪の関係だったのである。
サン・フェリペ号事件で、秀吉は
「キリシタンを利用して、日本を(7 植 民 地 )にする」
というスペインの侵略意図を確信したのだった!
↓
【サン・フェリペ号事件を非難してきたフィリピン総督に対する秀吉の回答】
〔資料6〕 聞くところによれば、貴国は布教を通して謀略的(ぼうりやく)に外国を征服しようと
たくらんでいるということだが、もし我が国からあなたの国に入り込み、神道を説いて国民を
惑わすことがあったら、あなたは喜びはしないだろう。これを思え。
貴国の者らが我が国の法(バテレン追放令)にそむいたので、積み荷を没収したのである。
私の処置が間違っていると思うか。我が国民が、あなたの国であなたの法を守らなければ、
処罰していただいて結構だ。
⑦1597年、2度目の唐入りを開始=(8 慶 長 の 役 )。
↓
【まとめ】
1.秀吉は明国の向こうに何をにらみ、
本当はどこと戦っていたのですか?
→ 秀吉は、
フェリペ2世の(9 スペイン ・ ポルトガル )と戦っていた
→ 朝鮮出兵の目的は
「スペインに(10 明 )を取られる前に先手を打つ!」
2.秀吉の決意とは?
→「天下人として、
日本の(11 独 立 )を守る義務を果たす!」
●唐入りは、秀吉の死で終わりました。しかし、ヨーロッパとの戦いは終わってません。
キリスト教との戦いは、次の(12 徳川家康 )に引き継がれていくのでした!
終わり
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