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日本・ポーランド秘話~道徳「感謝の心」

ずいぶん御無沙汰しました。
そろそろ再開したいと思います。
学事出版
校長講話の専門誌「月刊 プリンシパル」連載
「子どもに伝えたい道徳の心」連載第3回

日本・ポーランド秘話
~「感謝の心」


兵藤長雄氏著 「善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心」o0199026210364349312

日本・ポーランド秘話~「感謝の心」

 平成二三年の夏休み、岩手県と宮城県の中高生三〇名がポーランドに招かれ、約一ヶ月滞在しました(絆の架け橋プログラム)。
実は、その十六年前の平成七年にも日本の小中学生がポーランドに招待されています。
前者は東日本大震災、
後者は阪神淡路大震災で大きな痛手を受けた子供たちでした。
今の日本人にとって「遠い国」との印象を抱くポーランドの人々がどうして日本の子供たちをいたわってくれるのでしょうか? 
その裏には感動的な歴史的事実があったのです。

ポーランドの悲劇

 東欧の王国だったポーランドは、一七九五年に露・墺・普(プロイセン)によって三分割され、全領土を失いました。
独立運動に関わった愛国者は逮捕され、家族もろともシベリアに送られました。
十数万人もの流刑ポーランド人は、ショパンの曲を胸に独立の日を夢見て苦難に耐え続けていました。
それから一三〇年後、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でポーランドの独立が承認されます。
虐げられてきたポーランド人は歓びに湧きました。
なかでも寒さと飢餓と伝染病と戦いながら生き抜いてきたシベリア流刑者の感慨はひとしおです。
ところが、直後にソ連とポーランドの間で戦争が勃発したため、唯一の帰国手段だったシベリア鉄道が止まり、祖国に帰れなくなってしまいました。
この事態に、ポーランドの孤児たちを保護していた救済委員会は欧米諸国に孤児の救援を要請します。
しかし、何とことごとく拒否してきたのです。
飢えと病気に苦しむ孤児たちは絶体絶命の危機に直面していました。

ポーランド孤児を救出せよ!

 そんな中、「よし、手を貸そう」と名乗り出た国がありました。
それが日本でした。日本赤十字社とシベリア出兵中の陸軍兵士らが直ちに救出に乗り出しました。
孤児だったダニレビッチ氏はこう語っています。
「街には、飢えた子供があふれていました。
その子たちは、日本の兵隊さんを見ると、
『ジンタン(仁丹)、クダサイ。ジンタン、クダサイ!』
とせがむのです。
日本の兵隊さんは優しかった。私もキャラメルをもらったことがあります。
孤児の中には空腹で雪を食べている子供もいました。
シベリアはもう、まったくの地獄でした」

 事態は一刻の猶予もありません。
赤十字と日本軍はせめて親のない孤児だけでも助けようと酷寒のシベリアで鮮やかな救出劇を繰り広げます。
保護した孤児を船で次々と日本に送り出しました。
三年間で救済した孤児は七六五名にのぼります。

日本に来たポーランドの孤児と日本赤十字社の看護婦

 収容施設では、衰弱した大量の孤児を看護婦が付きっきりで看病しました。
手遅れと思われた腸チフスの少女を担当した松沢フミ(二一歳)は
「せめて自分の胸で死なせてやりたい」
と毎晩、少女に添い寝しました。
少女は奇跡的に回復したものの、感染した松沢看護婦は亡くなりました。
異国の不遇な子供に命を捧げたのです。
孤児の存在は日本国民の大きな同情をよび、慰問の品が殺到しました。
無料の歯科治療や理髪、寄付金の申し出があとを絶ちませんでした。

日本に来たポーランドの孤児

貞明皇后が日赤病院に行啓され、孤児の頭を撫でながら、健やかに育つようにと慈しみました。
当時、孤児だったサドフスキさんは
「皇后陛下に抱きしめてもらったことが忘れられない」
と、母のような貞明皇后の姿が今も鮮やかに目に浮かぶと言っています。

祖国ポーランドに帰った孤児たち。孤児であった老婦人は、この写真 を 75 年もの問、大切に持ち続けていた

 こうして孤児らは健康を取り戻し、回復した子からポーランドに送り届けることになりました。
ところが、出航時、孤児たちは乗船を嫌がるのです。
泣きながら、見送る日本人に「アリガトウ」を繰り返し、滞在中に習い覚えた「君が代」を斉唱して感謝の気持ちを表したといいます。

高尚な国民 

日本人の崇高な行為に対して、駐日ポーランド大使館に勤務していたフィリペック氏は
「いつか恩返しをしたい」
と願っていました。
 平成七年に阪神淡路大震災が発生し、ポーランド政府は直ちに日本への救援活動に入りました。
そして、その一環としてフィリペック氏は日本の被災児を自国に招いて激励してくれたのです。
これが冒頭の「絆の架け橋プログラム」の始まりです。
 かつてポーランド極東委員会の副会長だったヤクブケヴィッチ氏は、震災に打ちひしがれる日本人に向けて『われらは日本の恩を忘れない』と題した次のようなメッセージを発しています。
「我が不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、我々ポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。
我々の児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までも取って、ポーランドの子供たちに与えようとした。
こんなことは一度や二度ではない。
しばしばあった。ポーランド国民もまた高尚な国民であるがゆえに、我々はいつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に知っていただきたい。
ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい」
(抜粋)

 大正の日本人は孤児を一人も死なせませんでした。
何の見返りも求めずに最善を尽くしました。
今や親日国として名高いポーランドの親愛感情の原点は、この大正時代の名も無き日本人の崇高な行為が発端です。
一方、ポーランド国民は「受けた恩を忘れない」という感謝の想いを持ち続けました。
その想いは二度の大震災でポーランドが示してくれた惜しみない支援事業にまでつながっているのです。
ともに「高尚な国民」といえるでしょう。
「国民性」というものは各国各様です。
震災時に表れた冷静で思いやりのある日本人の態度や外国人を魅了する親切とおもてなしの心なども日本人の国民性といえるでしょう。
 義務教育段階で望ましい「国民のあり方」を教えることは、公教育に課せられた使命のひとつと思います。
中学生が今の自分を振り返って、気品ある優しさはあるだろうか、そんな人になれるだろうかと考えさせることは大切です。
道徳の授業を通して高尚な国民の姿を子供たちに示したいですね。

平成11年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日

[参考文献]
・占部賢史『歴史の「いのち」』(モラロジー研究所)
・兵藤長雄『善意の架け橋=ポーランド魂とやまと心』(文芸春秋)
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Author:服部 剛
授業づくりJAPAN横浜《中学》の代表・服部剛です。中学校社会科教師です。
授業づくりJAPANは、授業実践を通して「国を思い、先人に感謝し、卑怯をにくむ日本人」「日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人」を育てます。
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