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授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』  NO.63 2016/3/31

メルマガ「授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』」を転載します。
皇国史観の正しい理解をどうぞ。
仁徳帝の
それ天の君を立つるは、これ百姓(おおみたから)のためなり。しかれば君は百姓を以て本とす
これが「皇国史観」の基にある政治道徳思想です。
何かおかしいところがありますか?


〔以下、転載〕

授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』 
 NO.63 2016/3/31

「皇国史観とは何か」(長谷川三千子埼玉大学教授)に学んで


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  誇りある日本人を育てよう! 真の国際人を育てよう!

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
●本号は長谷川先生の論文を読み、内容を短くまとめたしたものです。

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「皇国史観とは何か」(長谷川三千子埼玉大学教授)に学んで

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皇国史観について、平凡社の世界百科事典はこう説明している。

「(1)日本は神国であり、皇祖天照大神の神勅(天壌無窮の神勅)を奉じ三種の神器を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたする国であるとする歴史観であり、統治の正当性と永遠性を主張・・・。」

これは正しい。それは古事記や日本書紀にもとづいている。
 しかし、事典は最後の方でこう書く。

「・・・この史観は大東亜共栄圏の建設の名の下に、国民を大規模な侵略戦争に駆り立てるうえで大きな役割を果たした」

おそらくほとんどの教師がこの考え方を無意識のうちに受け入れていることだろう。
だから、日本が神国であることも、天皇の国であることも教えようとせず、無視し、避けて通っている。


「日本は神国であり万世一系の天皇が統治してきた(という史観)」が「国民を侵略戦争に駆り立てた」という等式は、まずGHQが書き、日本の学者が書き、マスコミも書き、日本の教育に定着した。
同じことを角川の日本史事典は「大義名分論と国粋主義・排外主義により構成された歴史観。近代史において専制支配と海外侵略を合理化・肯定する主張を行う」と書く。




三種の神器を継承する天皇の統治と侵略戦争が必然的につながっているという事実は、2000年の歴史にまったくない。
日本の戦争の経験は白村江の戦い、明の攻略をめざした戦い、そして近現代の戦いしかなく、長い歴史の中で例外的に戦争をしなかった国だ。
しかも、3つとも「侵略戦争」ではない

皇国史観は北畠親房の神皇正統記に始まる。
古事記・日本書紀の思想がこのとき確立した。
北畠によれば、三種の神器は「知恵の本源」である剣、「正直の本源」である鏡、「慈悲の本源」である玉であり、天皇の統治を象徴する三種は徹底した「徳治主義」を表している。




たしかに、皇国史観は大東亜戦争のスローガンになった。
祖国の危機に際して、全国民を鼓舞し団結させ、祖国を守るために死をも恐れぬ勇気の源になった。その思想が国民有事の支えになるだけのパワーになったことは間違いない。

だが、ある思想が戦争スローガンとして使われたからといって、直ちにその思想の善悪や価値を評価することはできない。その知性や暴力性を結論づけることはできない。

ではなぜ皇国史観が悪にされているのか。
それは日本が戦争に負けたからである。


では連合国の戦争スローガンは何だったのか。
それは民主主義だった。
かつてはキリスト教の大義がヨーロッパの戦争スローガンだったが、アメリカの独立戦争・フランス革命・第一次世界大戦・第二次世界大戦と「民主主義」が戦争のスローガンになった。

「民主主義」は、誰も欲しない戦争であっても、国民を戦争に駆り立て、むごたらしい死に追いやる大きな役割を果たした。

そして「民主主義」の戦争は「皇国史観」の戦争に勝った。
 「民主主義」が危険な思想にならず、輝かしい思想になったのは、戦争に勝って世界を支配したからである。




「皇国史観」という言葉は江戸時代からあったが、戦争のスローガンになったのはシナ事変が始まった昭和10年頃からだった。
それは非常時用の言葉としてよみがえった。
戦争スローガンになると言葉は単純化されいささか歪む。

本来の「皇国史観」は後期水戸学(藤田東湖など)に立ち戻るのがわかりやすい。
神皇正統記の政治道徳思想を実践的なわかりやすい姿で日本人に説いたのは彼らだった。
とりわけ藤田東湖『弘道館記述義』は、古事記・日本書紀にもとづく日本の政治道徳思想をわかりやすくまとめたものだ。

それは本当は本居宣長らの国学の役割だったのかもしれないが、国学はあくまで文学と言語学を二本柱にして「日本の心」のはたらきを精妙に探求し続け、政治道徳思想のほうまでは踏み込まなかったからだ。




平凡社の百科事典は「皇国史観」は「天皇の神性と統治の正当性・永遠性を主張」したにすぎないという。
しかし、藤田東湖の思想は単純な「神権思想」ではない。
それは徹底した「徳治」の継承だった。
 
天皇は代々その明徳を受け継ぎ、遠く異国もわが徳の慕うというようにならなければならないと、東湖はいう。

明徳とは何か。

それは「蒼生安寧」をはかることである。

 「蒼生安寧」とは何か。藤田東湖は次のようにいう。

           *

天照大神が農業と養蚕の道をひらいて、民を飢えと寒さから救われた。
これを始めとして、代々の神々、天皇は、病気治療法を定め、植林を行い、公平な裁判制度をしき、国防につとめ、治水事業や飢饉への備えに尽力されてきた。
これらはすべて「蒼生安寧」という大目的のために行われてきた。
わが国では、政治の目的は人民の福祉にある。これがわが政治道徳の根幹であることは、天皇が人民を「おおみたから」と呼び習わしておられた伝統に現れている。

           *

東湖は日本の特色を
「宝祖無窮」
「国体尊厳」
「蛮夷戎狄率服」
「蒼生安寧」

の4つとし、すべては蒼生安寧(人民の福祉のための政治)を起点として一つに結びつくという。
蒼生安寧の政治道徳を貫いてきたからこそ、万世一系の天皇は続き、天皇を中心に国は一つにまとまり、そのすばらしさに外国人もすすんで従うのである。
この思想の核心を逃してしまったら「皇国史観」はありえない。




仁徳紀に三年間課役を廃されたエピソードがある。
そのため宮殿がぼろぼろになって雨漏りもする始末となり、お后が陛下に
訴えた。すると仁徳天皇はこう答えた。
「それ天の君を立つるは、これ百姓(おおみたから)のためなり。しかれば君は百姓を以て本とす」

これが「皇国史観」の基にある政治道徳思想だ。
だからこそわが国民は臣民として、古来忠孝の美徳をもって天皇に仕え国運の発展に努めてきた。
それを抜きにして、いきなり「忠孝の美徳」「臣民の道」を言えば、それは専制支配の合理化に過ぎない。


ところが、平凡社の百科事典はこうも言っている。

「こうした国柄の精華は全世界にあまねく及ぼさなければならない(八紘一宇)・・・とされ・・・国民を大規模な戦争に駆り立てるうえで大きな役割を果たした」 

蒼生安寧の思想を広め世界が一つの家族のようにむつむみあうようにしようというのが「八紘一宇」であり、 それは福祉と平和の思想であった。

それを単に天皇の支配を正当化するイデオロギーだと考えてしまうから、角川の日本史事典のように「専制支配と海外侵略を合理化する主張」になってしまうのだ。




 
最後に後期水戸学の「尊皇攘夷」を見ておこう。
大東亜戦争は後期水戸学の攘夷の実践だったではないかという考えもあるからだ。
まさに、後期水戸学は腰抜け平和主義ではない。
「尚武」を日本の大切な伝統として掲げ、尚武と「仁徳」が矛盾せずに行われるのが日本の政治的伝統の基本だと言っている。




攘夷は侵略戦争ではない。
当時世界侵略をやっていたのは欧米列強である。
弱いものいじめの戦争が侵略戦争だ。
攘夷はそういう邪悪な力の侵入に対しこれを追い払う戦いのことを言う。
皇国史観の「尚武」独立・自衛の戦いである。話が真反対だ。


日本が西洋の進入を嫌ったのは彼らが日本の独立を脅かしたからだが、それだけではない。西洋の宗教や政治思想のうちに、わが国本来の徳治主義に激しく対立するものを直感していたからである。

・唯一の絶対者が世界を創造し支配するという信仰は、わが神道+仏教の寛容を認めない。

・力と力のぶつかり合いを基本原理とする「国際社会」は、蒼生安寧・八紘一宇とは相容れない。

西郷隆盛は彼らを文明ではなく「野蛮」とよんだ。
だから幕末の「攘夷」はわが文明を守りたいという痛切な願いに発している。
しかし、この攘夷は不可能だった。
いったんかれらの「野蛮」を受け入れ、彼らの「国際社会」で独立し、対等に交際できなければ、委細が失われたからである。

そうして、日清・日露・第一次世界大戦を戦った日本は、やがて彼らの悪意に包囲されていく。
スターリン・ルーズベルト・チャーチルは日本の文明を押しつぶそうとした。
蒋介石はもともと彼らの「野蛮」がわがことだったから、彼らと手を結んだ。

したがって、大東亜戦争は「日本文明が平和を求めるが故に戦わざるを得なくなった痛恨事」だったのだ。

開戦の証書を見ればわかる。

「・・・列国との厚誼を篤くし、万邦共栄の楽をともにするのは、日本が国交の要義とするところである。いまや不幸にして米英両国と戦端を開くことになったのは、まことにやむをえないことであり、私の志にかなうものではなかった」

こんな悲痛な開戦宣言は歴史上あり得ない。
彼らにはそれがわからない。これは自己弁護でも正当化でもないのである。


わが政治道徳の理想と世界の現実との相克を悲痛な思いで見つめている言葉です。
日本近代が背負わされた課題の重さと辛さがこめられている言葉です。
当時の日本人はみなそれがわかっていた。 
 



ただし、こういうことはあった。
皇国史観が戦争スローガンとして叫ばた短い期間のことだが、そこには大雑把で荒っぽい様相がないわけではなかった。

天皇陛下に命を捧げればよいのだ!
つべこべ理屈を言うな、この非国民め!
腐りきった性根をたたき直すにはこの精神棒を食らわすしかない!

しかし、こうした悲壮な記憶だけで「皇国史観」を葬り去ってはならない。
日本の現在と未来を考えるためには欠かせない大切な言葉である。


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■発行者:授業づくりJAPAN(日本の誇りと歴史を伝える授業づくりの会)

■発行者のブログ:「授業づくりJAPANの日本人を育てる授業」
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■発行者のMAIL: jdjapan2014@gmail.com 

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服部 剛

Author:服部 剛
授業づくりJAPAN横浜《中学》の代表・服部剛です。中学校社会科教師です。
授業づくりJAPANは、授業実践を通して「国を思い、先人に感謝し、卑怯をにくむ日本人」「日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人」を育てます。
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