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日本マラソンの父・金栗四三②


道徳1-(2)強い意志~目標を貫いて生きる
「日本マラソンの父・金栗四三(かなぐりしぞう)」
        3度のオリンピック

(つづき)

s-金栗

◆ 発問 3~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料3】を読んでどう思いましたか?
このあと、金栗四三はどうなったでしょうか?

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


「マラソンをやめた」
「もっと努力した」
「また教師に戻った」など

『資料4で確認しましょう』

【資料4】その後の金栗四三◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

四三は現役を引退しましたが、指導者として大きな功績を残しました。
その画期的な仕事のひとつが、マラソンシューズの開発です。
底にゴムを張りつけた「金栗足袋」は、全国の運動会などで愛用され、多くの選手たちを助けました。

四三は選手の育成、競技の普及のために全国をかけまわりました。
心肺機能の充実をはかる富士登山競争、高地トレーニング、インターバル・トレーニングなど次々と新しい練習方法を取り入れていきました。

また、
「マラソンは孤独で辛い。だから競技人口も少ない」
と、四三はチームで練習をやろうと考え、箱根駅伝を企画しました。
ふだんの練習をゲームにして、互いに励まし合って責任感とチームの和を育て、練習の質と量を高めてマラソンのレベルアップにつなげようとしたのです。

さらに、女性のスポーツが一般的でなかった当時、四三は女子体育の大切さを説き、全国に普及させました。

四三は常に日本スポーツ界の先頭に立って、全国を回り、オリンピック運動や陸上競技の普及・向上に努めました。
抜群の発想力、企画力、行動力、指導力、組織力を発揮し、日本スポーツ界のパイオニアとして活躍しました。

戦後も全国マラソン連盟の会長となり、現在のマラソン界につながる試みのほとんどが四三の発案です。
我が国が長距離走に強いのは、四三のおかげと言ってもいいでしょう。

一方で後輩たちからは「お釈迦様」と呼ばれるほど、誠実で温厚な人柄でした。

s-kanakuri411金栗四三

そんな四三の座右の銘は
「体力、気力、努力」
です。

現役時代から換算すると四三の全走行距離はなんと25万km、およそ地球6周以上にもなります。


世界のマラソン界でも金栗四三の名は知れ渡り、いつしか四三は「日本マラソンの父」と呼ばれるようになりました。

そんな彼のただひとつの心残りがストックホルム大会での挫折でした。

初のオリンピックを途中棄権してから50年余りが過ぎた昭和42(1967)年。
75歳になった四三のところにスウェーデンのオリンピック委員会から招待状が届きました。
「ストックホルムオリンピック開催55周年」を記念する式典に招待するというのです。

実はストックホルム大会の時、正式に棄権届けを出していなかったので、四三は
「競技中に失踪し、行方不明」
として扱われていたのです。
その「消えた日本人選手」が、今も健在であることを知った委員会が四三を招待したのでした。
その招待状には、なんと次のように書いてあったのです。

「あなたは、1912年のストックホルムオリンピックマラソン競技において、まだゴールをされていません。
あなたがゴールするのをお待ちしております」


四三は、半世紀ぶりに思い出のスタジアムを訪れました。
するとそこには、一本のゴールテープが用意されていました。
彼のためだけに用意されたゴールです。
観客の割れるような拍手の中、四三は20メートルほどの直線を走ってテープを切りました。
スタジアムには、

「ただいまゴールしたのはミスター・カナグリ。ジャパン。
タイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これで第5回ストックホルム大会は、全日程を終了しました」


とアナウンスが流れました。
観客たちは、20歳でスタートし、75歳でゴールした四三を声援と拍手でたたえました。

四三は、これに答えて

「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」

とユーモアあふれるコメントを返し、ストックホルムの人々は大喜びです。

この記録はオリンピック公式記録として認定されました。
今後、この記録が破られることはないでしょう。

s-kanakuriten854年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールした瞬間


昭和59(1984)年11月13日、四三は93才で永眠しました。
箱根駅伝では、彼の功績をたたえて、最優秀選手に「金栗四三杯」が贈呈されています。

◆(資料ここまで)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


◆ 発問 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料4】を読んで、考えたことや感心したことは何ですか。
今日の学習内容に照らして、現在の自分はどうですか。

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


(授業 終わり)


日本マラソン界に多大なる貢献をした四三の功績を称えるとともに、不屈の闘志で頑張った四三から
「努力を続けることの大切さ」
を学びとらせたいですね。

また、スウェーデン人の粋なはからいに感動しました。
偉大な人の功績は、国境を越えるのでしょう。

現在、ストックホルム近郊のマラソンコースがあった町「ソレントゥナ」に金栗四三の記念銘板が設置されています。

s-ストックホルム近郊のマラソンコース上の町・ソレントゥナに設置された金栗四三の記念銘板Commemorative_plaque_of_Shizo_Kanakuri_in_Sollentuna

左の女性が、四三を介抱してくれた農家の人の子孫ですって。
JOCの竹田会長からプレート贈呈。

s-金栗四三 JOCが感謝のプレート贈呈 百年前、マラソン金栗を介抱した家族の子孫に

■参考文献■

・『熊本陸上競技史』(熊本陸上競技協会創立60周年記念)
平成19年3月発行
・熊本県和水町HP「マラソンの父・金栗四三」
 http://www.town.nagomi.lg.jp/default.asp
・熊本県立玉名高等学校HP「大先輩」
 http://www.higo.ed.jp/sh/tamanash/
・『走れ25万キロ―マラソンの父金栗四三伝』
 豊福一喜、長谷川孝道(講談社)
・『走ったぞ!! 地球25万キロ―マラソンの父・金栗四三』
 浜野卓也、清水耕蔵(佼成出版社)
・ビデオ『夢をかなえた男マラソン王 金栗四三』
 (テレビ熊本偉人シリーズ)1999年作品
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授業づくりJAPAN横浜《中学》の代表・服部剛です。中学校社会科教師です。
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