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佐久間艇長(ていちよう)の遺書

1-(3)役割と責任・強い意志
「佐久間艇長の遺書」


佐久間勉遺書

◆ 発問1 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

これは手帳に書かれた文字です。
感じたことを一言どうぞ。

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


○字がきたない?
○急いで書いている。
○「遺言」って書いてある。 など

『実は…、これは「遺書」です。
手帳の文字は、この人が書きました』

佐久間勉

『名前は佐久間勉(つとむ)。
海軍大尉です。
【資料1】を読みます』

【資料1】 第6潜水艇  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

氏名:佐久間勉
生年月日:明治12(1879)年9月13日
出身:福井県三方(みかた)町
職業:大日本帝国海軍の軍人
早くに妻を亡くし、子供は女の子が一人。

佐久間艇長の第6潜水艇
艇

佐久間勉は、潜水艇の艇長をしていました。
潜水艇とは、海に潜ったまま進む船のこと、今の潜水艦の小さなものです。

我が国が日露戦争に勝利して5年後のことです。
明治43年(1910)4月15日、佐久間艇長の第6潜水艇は潜航の演習をするために山口県の新湊(しんみなと)沖に出ました。
午前10時、演習を始めると、間もなく潜水艇が故障して海水が艦の内部に入り込みました。
そして、後ろに大きく傾いて海底に沈んでしまったのです。
この時、佐久間艇長と乗組員13人は、艇を浮上させようと、排水などできるかぎりの手段を尽くしましたが、艇はどうしても浮きあがりません。
その上、エンジンの排気ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることもできなくなりました。

佐久間艇長は「もはやこれまで」と最期の決心をしました。
そこで、海面から水をとおして司令塔の小さな覗孔(のぞきあな)に入って来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に文字を書きつけはじめました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆(資料ここまで)


◆ 発問 2~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

佐久間艇長は、どんな内容を書いたと思いますか。

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


○まだ死にたくない。
○どうしてこんなことになったのだー。
○みんな元気でやってくれ。

『死を目の前にした時…、どんなことを書くでしょうか?
【資料2】で、確認しましょう。』

【資料2】佐久間艇長の遺書 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

佐久間艇長は、ものすごい呼吸困難の中で、半身を海水に浸かりながら遺言を書きました。
かすかな光を頼りに、小さな手帳に39ページにもわたって書き記したのです。

======================
佐久間艇長遺言
小官の不注意により陛下の艇を沈め、部下を殺す、誠に申し訳なし。
されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事をしょせり。
我れ等は国家のため職に斃(たお)れしといえども、ただただ遺憾(いかん)とする所は
天下の士はこれを誤り、もって将来、潜水艇の発展に打撃をあたうるに
至らざるよう憂うるにあり。
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく
将来、潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。
さすれば我れ等、一つも遺憾とするところなし。(以下略)
======================


沈没後、電灯が消えて酸素は刻々と消費されていきます。
ガソリンによるガスは艇内に充満し、部下は一人、また一人と絶命していったのでしょう。

このような状況の中で、佐久間艇長は「天皇陛下の艇を沈め、部下を死なせるに至ったこと」を謝り、「全員が最後までよくその職務を守ったこと」を遺書に書きました。

遺書はこのあと、この事故により「潜水艇開発の発達を妨げることのないように」と、沈没の原因・沈没後の状況について、詳しい説明が続きます。

======================
公遺言(こうゆいごん) 
謹(つつし)んで陛下に白(もう)す。
部下の遺族をして窮(きゅう)するもの
無からしめ給(たま)わんことを。
我が念頭に懸るもの之(これ)あるのみ。
======================


佐久間艇長は、
「部下の家族が困らないようにして下さい」
と天皇陛下に特別な配慮をお願いしました。
続いて、上官や先輩、恩師の名を書きつらねて、別れを告げました。

そのあと、遺書は

=======================
十二時三十分呼吸非常に苦しい。
ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、
ガソリンにようた
=======================

と書かれ、最後に

=======================
十二時四十分なり
=======================

と記して終わっています。

ここで佐久間艇長は気を失い、そのまま亡くなったと思われます。
享年30でした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆(資料ここまで)


◆ 発問3 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

【資料2】には、佐久間艇長の願いが2つ書かれていました。
何でしたか?

①事故によって(  )が遅れないようにして欲しい。
②殉職した部下たちの(   )が困らないようにして欲しい。

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


●資料を確認しながら書かせましょう。

<答え>
①潜水艇の発展・研究
②家族の生活


『私的なお願いは1つもありませんでしたね。
どう思いますか?』

【資料3、4】を読みます。

【資料3】衝撃の事実が明らかに ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

沈没の2日後、ようやく潜水艇は引き揚げられました。
この時、現地に駆けつけた遺族は遠くへ離され、立入りを禁じられました。
なぜ、遺族を遠ざけたのでしょうか?

実は外国での潜水艇の事故では、ハッチを開いてみると、出口に乗組員たちが
「死にたくない!」
と殺到して死んでいることが多かったからです。
それは、我れ先にと争った跡が歴然としていたり、苦しさのあまりノドをかきむしったりしていたのです。
そうした悲惨な光景を遺族に見せるわけにはいかないでしょう。

ところが、いざハッチを開いても、そこには誰の姿も見えませんでした。
「…?」

艇内の奥に入り、その内部の様子を見た関係者たちは思わず息を呑みました。
状況を検分した吉川中佐は「よろしいッ!」と絶叫しました。
そして、泣き崩れたのです。

なんと佐久間艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソリン機関の前に…、
と全乗組員がそれぞれの持ち場についた状態のまま死んでいたからです。

これは、14人全員が艇の修復に全力を尽くしたまま息絶えたことを示していました。

そして、佐久間艇長の遺言が、遺体の上着のポケットから発見されました。
死の直前に取り乱さず、後世のために遺書を記していたことに、世界中の人が驚きました。

英国の新聞『グローブ』は、
「日本人は体力上だけでなく、道徳上、精神上もまた勇敢であることを証明している。
今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」
と驚嘆しました。

この事故は今では語られることもなく、佐久間勉の名前を知る日本人はほとんどいません。
しかし、世界各国の潜水学校では尊敬すべき潜水艦乗りとして教育されています。

実は佐久間艇長は、武人の覚悟として以前から遺書を書いて、自分の机の中に置いていました。
その遺言には、「私的な」お願いが書いてありました。

佐久間艇長は何を願っていたと思いますか?

そこには、次のようなことが書いてありました。

=================
我れ死せば遺骨は郷里において
亡き妻のものと同一の棺(ひつぎ)に入れ
混葬(こんそう)さすべし
=================


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆(資料ここまで)

○すごい人たちだ。
○責任感がすごい。
○奥さんのことがとても好きだったのだと思う。

事故後に、引き揚げられた潜水艇
引き上げられた艇


【資料4】100年後の今も… ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「第6潜水艇殉難慰霊碑」がある呉市の鯛之宮(たいのみや)神社では、毎年追悼式が行われています。
呉市の各小学校では佐久間艇長と遺書のことを学び、感想文を書きます。
その優秀作品を追悼式で本人が朗読します。

平成23年に選ばれた呉中央小学校6年の谷川舞さんは、心に残ったこととして

「沈んでいく船の中で、自分の持ち場を離れずに力を尽くしたこと」
「自分のことだけを考えて行動しなかったこと」
「みんなのことを思う佐久間艇長の思いやり」


の3つを挙げ、東日本大震災に関して、次のように書いています。

《今、日本では、東日本大震災というかつてない大きな地震によって、たくさんの方々が大変な状況の中で生活をしておられます。

その中でも、佐久間艇長さんのような方々がたくさんいることを思い出しました。
食料を譲り合い、自分が持っている物を分けたり、子供や高齢の方を優先したり、自分も苦しいけれど、みんなのために譲り合う姿に心を打たれました。

私がテレビで見た消防士の方は、津波が来るぎりぎりまで車で声をかけて回ったそうです。
結果、亡くなられましたが、最後まで人を思いやっていた方のことが、ずっと心に残っていました。

第六潜水艇の学習をして、この事故は百年も前のことですが、今の日本にもその心は受け継がれていることを感じました。

私たちの未来にもこの日本のよさを伝えていきたいです。
そのためには、自分のことだけを考えるのではなく、みんなのことを考え、責任をもって行動したいです。》


100年後の日本の子供の朗読を、佐久間艇長たち14人の英霊は、どんな気持ちで聞いたでしょうか。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆(資料ここまで)


◆ 発問4 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

今日の話のどんなことが強く心に残りましたか?
自分の職務に対する佐久間艇長の姿勢や覚悟に照らして、今の自分はどうですか?

◆ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


●究極の状況でも職務を果たそうとした佐久間艇長の責任感の強さから、何かを学び取って欲しい。
仕事や勉強、部活動において、今の自分の責任感はどうだろうか?

●「死んだら亡き妻と一緒に墓に入れて欲しい」という私的なお願いが胸を打つ。
きっと家庭では、良き夫であり、良き父であったのだと思う。

●大震災の時、私たちは日本には多くの佐久間艇長がいたことを知っている。
このことを、どう思うか。


(おわり)

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プロフィール

服部 剛

Author:服部 剛
授業づくりJAPAN横浜《中学》の代表・服部剛です。中学校社会科教師です。
授業づくりJAPANは、授業実践を通して「国を思い、先人に感謝し、卑怯をにくむ日本人」「日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人」を育てます。
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個人的な連絡はコメントからどうぞ。

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