「エルトゥールル号事件」感謝の心 「プリンシパル」連載1-2
学事出版
校長講話の専門誌「月刊 プリンシパル」連載
「子どもに伝えたい道徳の心」
連載第1回「エルトゥールル号事件」感謝の心《つづき》
◆◆◆◆◆◆◆◆◆ つづき
「エルトゥールル号事件」感謝の心
◆エルトゥールル号事件
話は遠く明治二三年のこと、トルコの使節団が軍艦エルトゥールル号で日本を親善訪問しました。
九月一四日、トルコに戻るため横浜を出港。
しかし、不幸にも台風が直撃し、使節団六六〇名を乗せたまま、和歌山県大島付近で沈没してしまったのです。
それはもうたいへん悲惨な有り様でした。
深夜で暴風雨でしたが、事態を知った大島の島民たちはひるむことなく救助に立ち向かいました。
暴風雨で火もおこせず、島民はトルコ人を腕に抱いて温め、介抱したといいます。
村人たちは台風で漁ができず、自分たちの食べ物さえ無くなってしまう状況だったにもかかわらず、非常用に飼っていた鶏まで、トルコ人に食べさせました。
この懸命な努力により六九名のトルコ人の命が救われました。
その後、島民百数十人の懸命な捜索により二一九名の遺体を収容しましたが、残り三六二名はついに発見できませんでした。
発見された遺体は、島民たちによって丁重に埋葬されました。
明治天皇はただちに医師団を派遣し、生存者全員をトルコに送還させました。
また、日本全国から義援金が寄せられ、トルコの遺族に届けられました。
この義援金を届けたのが、山田寅次郎という人です。
寅次郎はトルコ側の要請で、そのまま留まり、日本語を教えながら日本とトルコの友好親善に尽くしています。
この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となるケマル・パシャもいました。
◆百年前の恩を忘れない
遭難現場の串本町南紀大島の岬と地中海に臨むトルコ南岸の両方に、慰霊碑が建っています。
串本町では、五年毎に駐日トルコ大使館との共催でエルトゥールル号の「殉難将士慰霊祭」が行われています。

トルコ航空機による日本人救出劇について駐日トルコ大使だったウトカン氏は次のように述べています。
「悲劇ではありましたが、エルトゥールル号事件は日本との民間レベルの友好関係の始まりでもあります。
エルトゥールル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、トルコでは子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事です。
エルトゥールル号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコ人たちは忘れていません。
それで、テヘランで困っている日本人助けようとトルコ航空機が飛んだのです」。
私たちの先人が成し遂げた命懸けの行為が、百年の歳月をこえて同胞を救ったのです。

↑ トルコとの絆は今も
◆感謝の心を素直に表現することの大切さ
皆さんの学校の児童生徒は、他人からの善意に対して感謝の気持ちを素直に表現したり、恩返しをしているでしょうか。
人間社会は互いに助け合い、協力し合って成立しています。
これを根底で支えているのが感謝の心でしょう。
親しい仲であろうとなかろうと、感謝の心を忘れずに、心の絆を紡いでいこうとする道徳的実践力を育てることが必要です。
道徳教育で、善行を促すことは当然のことなのですが、その前に感謝の心を教えるべきでしょう。
物質万能の御時世ゆえ、単に善行を促しただけでは、児童生徒は「見返り」を得るために善行を行うことになりかねないからです。
したがって、今の自分は多くの人に支えられて生きているということに気付かせ、感謝の気持ちを持つように教えることが大切だと思います。
日常のさまざまな場面で、国や地域社会、あらゆる人に恩返しをしていこうという感謝の心を持って、行動するように指導したいですね。
《おわり》
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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◆エルトゥールル号事件
話は遠く明治二三年のこと、トルコの使節団が軍艦エルトゥールル号で日本を親善訪問しました。
九月一四日、トルコに戻るため横浜を出港。
しかし、不幸にも台風が直撃し、使節団六六〇名を乗せたまま、和歌山県大島付近で沈没してしまったのです。
それはもうたいへん悲惨な有り様でした。
深夜で暴風雨でしたが、事態を知った大島の島民たちはひるむことなく救助に立ち向かいました。
暴風雨で火もおこせず、島民はトルコ人を腕に抱いて温め、介抱したといいます。
村人たちは台風で漁ができず、自分たちの食べ物さえ無くなってしまう状況だったにもかかわらず、非常用に飼っていた鶏まで、トルコ人に食べさせました。
この懸命な努力により六九名のトルコ人の命が救われました。
その後、島民百数十人の懸命な捜索により二一九名の遺体を収容しましたが、残り三六二名はついに発見できませんでした。
発見された遺体は、島民たちによって丁重に埋葬されました。
明治天皇はただちに医師団を派遣し、生存者全員をトルコに送還させました。
また、日本全国から義援金が寄せられ、トルコの遺族に届けられました。
この義援金を届けたのが、山田寅次郎という人です。
寅次郎はトルコ側の要請で、そのまま留まり、日本語を教えながら日本とトルコの友好親善に尽くしています。
この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となるケマル・パシャもいました。
◆百年前の恩を忘れない
遭難現場の串本町南紀大島の岬と地中海に臨むトルコ南岸の両方に、慰霊碑が建っています。
串本町では、五年毎に駐日トルコ大使館との共催でエルトゥールル号の「殉難将士慰霊祭」が行われています。

トルコ航空機による日本人救出劇について駐日トルコ大使だったウトカン氏は次のように述べています。
「悲劇ではありましたが、エルトゥールル号事件は日本との民間レベルの友好関係の始まりでもあります。
エルトゥールル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、トルコでは子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事です。
エルトゥールル号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコ人たちは忘れていません。
それで、テヘランで困っている日本人助けようとトルコ航空機が飛んだのです」。
私たちの先人が成し遂げた命懸けの行為が、百年の歳月をこえて同胞を救ったのです。

↑ トルコとの絆は今も
◆感謝の心を素直に表現することの大切さ
皆さんの学校の児童生徒は、他人からの善意に対して感謝の気持ちを素直に表現したり、恩返しをしているでしょうか。
人間社会は互いに助け合い、協力し合って成立しています。
これを根底で支えているのが感謝の心でしょう。
親しい仲であろうとなかろうと、感謝の心を忘れずに、心の絆を紡いでいこうとする道徳的実践力を育てることが必要です。
道徳教育で、善行を促すことは当然のことなのですが、その前に感謝の心を教えるべきでしょう。
物質万能の御時世ゆえ、単に善行を促しただけでは、児童生徒は「見返り」を得るために善行を行うことになりかねないからです。
したがって、今の自分は多くの人に支えられて生きているということに気付かせ、感謝の気持ちを持つように教えることが大切だと思います。
日常のさまざまな場面で、国や地域社会、あらゆる人に恩返しをしていこうという感謝の心を持って、行動するように指導したいですね。
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