カルタゴの平和
過ぐる3月28日、「日本教師塾」の勉強会で飯田橋に行ってきました。
メインは高橋史朗教授の「W・G・I・P(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」。
久々に頭んなかがフル回転しました。
高橋先生に先立って、千葉の渡辺尚久先生の模擬授業「第二のカルタゴ」も勉強になりました。
ふと思い当たったのが、20年くらい前に作った読み物資料です。
この話はまだまだ使えるなぁと思った次第です。たいへん今日的な問題なのです。
渡辺先生の素晴らしい授業を知りたい人はぜひ「日本教師塾」に参加しましょう。
惜しみなく教えてくださいます。
以下、読み物資料~歴史でも公民でも使えます。
<カルタゴとローマ帝国>
◆ローマ帝国
●ヘレニズム文化華やかなりしB.C3世紀、都市国家ローマがイタリア半島を統一。
↓
●B.C2世紀頃から西欧、アフリカ、西アジアに領土拡大。
・B.C264年ポエニ戦争で勝利。地中海の覇権を握る。
・B.C60年第1回三頭政治(ポンペイウス、クラッスス、シーザー)
→シーザーの独裁
→ブルータスに暗殺される 「ブルータス、お前もか!」
・B.C49年第2回三頭政治
(オクタビアヌス<シーザーの養子>、アントニウス、レピドゥス)
・「アクチウムの戦い」
オクタビアヌスがアントニウスと、その妃エジプト女王クレオパトラに勝利
→ エジプトを征服!
●地中海沿岸に強大なローマ帝国を建設(B.C27年、初代皇帝オクタビアヌス)
◆ポエニ戦争…カルタゴの滅亡
カルタゴ(BC814~BC146年)はアフリカ北部(現在のチュニジア)に位置し、地中海貿易で栄えた経済大国でした。
ローマと第一次~第三次ポエニ戦争まで三度戦い、そして滅亡しました。
なぜ、カルタゴは滅んだのでしょうか。
カルタゴが滅亡した原因:第二次ポエニ戦争で敗れた後、ローマと結んだ条約。
条約の内容
・カルタゴの平和と安全はローマが保障する
・自衛軍は持ってもいいが、ローマの許可なしで戦争をしてはならない
=「交戦権」の否定である。
このことの持つ意味がいかに重大なものかを知っていたのは、第二次ポエニ戦争で活躍した闘将ハンニバルでした。
第二次ポエニ戦争後、ローマへの賠償金支払いを嘆く元老院(政治をするところ)で、彼は一人、笑いを浮かべていました。
その態度を激しく非難された彼はこう言いました。
「心が目に見えるなら、私の笑いが不幸のゆえに逆上したせいであることがわかるであろう。
武器が没収され、戦争が禁じられた時にこそ嘆くべきだったのだ。
なぜなら、この痛手は取り返しのつかないものだからである。
ローマが平和を保障してくれるなどと信じないほうがいい。
国は身体と同じく外に対して強く見えても内から衰弱していく。
しかし、我々はそれに気づかない。
自分の金を失うのは苦痛に違いないが、国の損失とはそんなものではない。
今や、我が国は武装した諸部族のただ中に丸裸で放り出されているではないか。
それを誰一人嘆こうとはしないではないか。
金を失うことなど小さな不幸に過ぎないことを諸君はやがて思い知るだろう」
カルタゴ政府はハンニバルの言葉を理解せず、彼を追放しました。
そして、ローマに従順にしたがい、経済活動のみに専念しました。
その結果、カルタゴは…。
わずか10年後には賠償金を一括して払えるほどの経済大国に復活します。
武力を放棄したまま自国の安全をローマに頼み、その費用をすべて経済活動にまわしたのでカルタゴは短期間で経済大国に成長したのです。
まさにこの世の春でした。(カルタゴの平和)
ところが…、半世紀後、かつての植民地ヌミディアがカルタゴの領土を侵略してきます。
あわてたカルタゴはローマに戦争の許可を願い出ますが、ローマはこれを拒否しました。
しかし、いたたまれずカルタゴはついにヌミディアと開戦してしまいます。
ローマはこの時を待っていたのでした。
すかさず、条約違反としてカルタゴに宣戦布告!
驚いたカルタゴは武器を捨て、ひたすらローマに謝罪します。
しかし、ローマが許すはずはありません。
とうとうカルタゴ国民もローマとの戦争を決意しますが、時すでに遅し。
カルタゴは跡形もなく焼き滅ぼされました。
第二次ポエニ戦争敗北後、55年目のことでした。
→ このカルタゴ・・・今のどこかの国と似ていませんか?
《資料おわり》
さて、今や…
「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は2015年3月18日、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表
「自国のために戦う意思」があるかどうか
↓
日本が11%で最低。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20150324-00044155/
これを見るに、すでに日本は、「危機に立つ国家」(1983年、レーガン米国大統領の「教育の卓越に関する国家委員会」が発表した報告書タイトル)になっているのではありませんか。
このまま座してカルタゴと同じ運命をたどってもいいのですか。
メインは高橋史朗教授の「W・G・I・P(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」。
久々に頭んなかがフル回転しました。
高橋先生に先立って、千葉の渡辺尚久先生の模擬授業「第二のカルタゴ」も勉強になりました。
ふと思い当たったのが、20年くらい前に作った読み物資料です。
この話はまだまだ使えるなぁと思った次第です。たいへん今日的な問題なのです。
渡辺先生の素晴らしい授業を知りたい人はぜひ「日本教師塾」に参加しましょう。
惜しみなく教えてくださいます。
以下、読み物資料~歴史でも公民でも使えます。
<カルタゴとローマ帝国>
◆ローマ帝国
●ヘレニズム文化華やかなりしB.C3世紀、都市国家ローマがイタリア半島を統一。
↓
●B.C2世紀頃から西欧、アフリカ、西アジアに領土拡大。
・B.C264年ポエニ戦争で勝利。地中海の覇権を握る。
・B.C60年第1回三頭政治(ポンペイウス、クラッスス、シーザー)
→シーザーの独裁
→ブルータスに暗殺される 「ブルータス、お前もか!」
・B.C49年第2回三頭政治
(オクタビアヌス<シーザーの養子>、アントニウス、レピドゥス)
・「アクチウムの戦い」
オクタビアヌスがアントニウスと、その妃エジプト女王クレオパトラに勝利
→ エジプトを征服!
●地中海沿岸に強大なローマ帝国を建設(B.C27年、初代皇帝オクタビアヌス)
◆ポエニ戦争…カルタゴの滅亡
カルタゴ(BC814~BC146年)はアフリカ北部(現在のチュニジア)に位置し、地中海貿易で栄えた経済大国でした。
ローマと第一次~第三次ポエニ戦争まで三度戦い、そして滅亡しました。
なぜ、カルタゴは滅んだのでしょうか。
カルタゴが滅亡した原因:第二次ポエニ戦争で敗れた後、ローマと結んだ条約。
条約の内容
・カルタゴの平和と安全はローマが保障する
・自衛軍は持ってもいいが、ローマの許可なしで戦争をしてはならない
=「交戦権」の否定である。
このことの持つ意味がいかに重大なものかを知っていたのは、第二次ポエニ戦争で活躍した闘将ハンニバルでした。
第二次ポエニ戦争後、ローマへの賠償金支払いを嘆く元老院(政治をするところ)で、彼は一人、笑いを浮かべていました。
その態度を激しく非難された彼はこう言いました。
「心が目に見えるなら、私の笑いが不幸のゆえに逆上したせいであることがわかるであろう。
武器が没収され、戦争が禁じられた時にこそ嘆くべきだったのだ。
なぜなら、この痛手は取り返しのつかないものだからである。
ローマが平和を保障してくれるなどと信じないほうがいい。
国は身体と同じく外に対して強く見えても内から衰弱していく。
しかし、我々はそれに気づかない。
自分の金を失うのは苦痛に違いないが、国の損失とはそんなものではない。
今や、我が国は武装した諸部族のただ中に丸裸で放り出されているではないか。
それを誰一人嘆こうとはしないではないか。
金を失うことなど小さな不幸に過ぎないことを諸君はやがて思い知るだろう」
カルタゴ政府はハンニバルの言葉を理解せず、彼を追放しました。
そして、ローマに従順にしたがい、経済活動のみに専念しました。
その結果、カルタゴは…。
わずか10年後には賠償金を一括して払えるほどの経済大国に復活します。
武力を放棄したまま自国の安全をローマに頼み、その費用をすべて経済活動にまわしたのでカルタゴは短期間で経済大国に成長したのです。
まさにこの世の春でした。(カルタゴの平和)
ところが…、半世紀後、かつての植民地ヌミディアがカルタゴの領土を侵略してきます。
あわてたカルタゴはローマに戦争の許可を願い出ますが、ローマはこれを拒否しました。
しかし、いたたまれずカルタゴはついにヌミディアと開戦してしまいます。
ローマはこの時を待っていたのでした。
すかさず、条約違反としてカルタゴに宣戦布告!
驚いたカルタゴは武器を捨て、ひたすらローマに謝罪します。
しかし、ローマが許すはずはありません。
とうとうカルタゴ国民もローマとの戦争を決意しますが、時すでに遅し。
カルタゴは跡形もなく焼き滅ぼされました。
第二次ポエニ戦争敗北後、55年目のことでした。
→ このカルタゴ・・・今のどこかの国と似ていませんか?
《資料おわり》
さて、今や…
「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は2015年3月18日、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表
「自国のために戦う意思」があるかどうか
↓
日本が11%で最低。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20150324-00044155/
これを見るに、すでに日本は、「危機に立つ国家」(1983年、レーガン米国大統領の「教育の卓越に関する国家委員会」が発表した報告書タイトル)になっているのではありませんか。
このまま座してカルタゴと同じ運命をたどってもいいのですか。
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