日本国憲法の前文は「コピペ」です
本日発刊のメルマガ「授業づくりJAPANの『日本人を育てる授業』NO.25」の情報コーナーに、産経新聞2015.3.26付けのコラム
【阿比留瑠比の極言御免】「憲法はコピペ」
が紹介されています。
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これはたいへん重要な指摘です。
知れば知るほど、こんなごちゃごちゃな文書を一国の「憲法」として70年にもわたって押し頂いてきたことの恥辱を実感します。
GHQからは、前文については字句も変更せず、そのまま日本語にせよと命令されていたそうです。
どおりでおかしな日本語なわけです。
前文は、米国の政治的文書や国際関係の文書の「つぎはぎ」によって作成されたました。
したがって、前文の中の3か所に出てくる「日本国民」という単語がなければ、どこの国の憲法か分からない文書になっています。
日本の歴史や伝統・文化を無視して作ったのですから当たり前ですけど。
これまで授業で紹介してきましたが、よい機会ですので、整理したものをここにアップします。
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■日本国憲法 前文
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
■アメリカ合衆国憲法 前文
我らと我らの子孫に自由の恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のため、ここにこの憲法を制定し確立する。
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■日本国憲法 前文
国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
■リンカーン大統領ゲティスバーグ演説
人民の、人民による、人民のための政治
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■日本国憲法 前文
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。
■マッカーサー・ノート(マッカーサー三原則)のⅡ
日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
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■日本国憲法 前文
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
■テヘラン宣言
われらは、その国民が、われら三国国民と同じく、専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている、大小すべての国家の協力と積極的参加を得ようと努める。
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■日本国憲法 前文
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
■大西洋憲章 第六
すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されてその生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する。
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■日本国憲法 前文
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
■アメリカ独立宣言
われらは、相互にわれらの生命、財産及びわれらの神聖な名誉にかけ、…この宣言を擁護することを誓う。
《以上》
よくぞここまで! と呆れます。
まぁ、1週間で素人が書いたのですからこんなものなのでしょう。
皆様も、よくよく読み比べて、吟味してください。
最後に、占領憲法成立時に、交渉の中心にいた白洲次郎の手記を紹介して終わりましょう。
「かくのごとくして この敗戦最露出の憲法案は生まる。
『今に見ていろ』という気持ち抑え切れず、ひそかに涙す」
おわり
参考 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
産経2015.3.26
【阿比留瑠比の極言御免】「憲法はコピペ」
先日、比較憲法学の権威である西修・駒沢大名誉教授の憲法に関する講演を聴く機会があった。なるほどそうかと納得したり、わが意を得たりと膝を打ったりで有意義な時間を過ごせたが、中でも鋭い指摘だなと感心したのは「憲法前文は『コピペ』なんです」という言葉だった。
「コピペ」とは「コピー&ペースト」の略であり、複写と貼り付けによる丸写しのことだ。最近、学者の論文や学生のリポートが、インターネット上の情報や表現をそのまま流用した安易なコピペだらけだと社会問題化している。
そのはしりが憲法前文だというわけだ。西氏によると、憲法前文は
(1)米合衆国憲法(1787年)
(2)リンカーンのゲティスバーグ演説(1863年)
(3)マッカーサー・ノート(1946年2月)
(4)米英ソ首脳によるテヘラン宣言(1943年)
(5)米英首脳による大西洋憲章(1941年)
(6)米独立宣言(1776年)
のそれぞれを切り貼りしたものだという。
「単位」もらえない!?
確かに、憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)自由のもたらす恵沢を確保」「この憲法を確定する」という言葉は米憲法と共通している。
憲法前文の「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」という部分は、テヘラン宣言の「専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている大小すべての国家」とほとんど一緒である。
また、憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ」という部分は、大西洋憲章の「すべての国のすべての人類が恐怖および欠乏から解放され」の言い回しを少し変えただけだろう。
これが学生リポートなら、内容以前に剽窃(ひょうせつ)行為は論外だとして単位はもらえないはずだ。西氏は講演で、「GHQ(連合国軍総司令部)がたった1週間で作ったのだから無理はない部分もある」と皮肉ったが、日本がこんな質の悪い盗作憲法をいまだにいただいていることが恥ずかしい。
「(自民党草案は)『家族は助け合わなければならない』など、党の国家観や価値観が強く反映されている。それが『憲法』としてふさわしいのかどうか考えてみる必要がある」
これを読んだ際、憲法に新たに「家族」に関する考え方を盛り込むのは特殊なことなのかと危うく錯覚しかけたが、もちろんそんなことはない。
西氏が1990年2月のナミビアから2014年1月のチュニジアまで、新しく憲法を制定した102カ国を調べたところ、そのうちカンボジア、タイ、ブータンなど87カ国(85.2%)が「家族の保護」を盛り込んでいたのである。
世界の趨勢(すうせい)がそうだから日本もまねろという気はない。ただ少なくとも、家族という人間社会の基本単位の明記が憲法にふさわしくないとは決していえまい。
現実の政治課題となった憲法改正をめぐって、今後は国会でもメディアでも憲法論議はますます活発化していくことだろう。どこかで聞いたようなコピペのような俗論に惑わされず、戦わされる議論の真贋(しんがん)をしっかりと見極めていきたい。(政治部編集委員)
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