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歴史教育×セラピー ワークショップはすごい!

歴史教育×セラピー ワークショップ(プレセミナー)


昨日は、ひさしぶりに本格的な勉強をしに千葉県市川市に行ってきました。

「セラピー×歴史教育ワークショップ(プレセミナー)」

であります。

「日本の正しい歴史を子供に伝えることがどれだけ大切なのか」
が実感できるセミナーでした。
こうした取り組みは、きっと初めてでしょう。
これから大変なことが起こるかも知れません。


歴史認識の大転換です。
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《 武士道とは何か ③ 》

《 武士道とは何か ③ 》

Yojimbo Movie


〔「武士道」応用問題〕
  正しい武士の生き方


今回は武士道実践編です。
正しい武士の生き方ができるかな?

【問1】何か問題がおこったとします。
 次のうち、武士が選ぶ正しい選択はどっち?

 A.死ぬ確率が高い方
 B.死ぬ確率が低い方

    ↓

◆山本常朝先生の答え
 1=うまくいく可能性あり
     → 死んでも勇気をたたえられる。
       ならば、本望である。
 2=腰抜けざむらい
     → その場は切り抜けても、こんな奴は
        いつか大失敗して切腹になる。



【問2】武士の職分とは、何か!? 
「職分」とは、職務としてなすべき務めのことです。
(   )の中に当てはまる言葉を考えよう。


◆山鹿素行(やまがそこう)先生の教えである

1.武士は「耕しもしないし、作りもしないし、売りもしない」
   ↓
  ということは、武士は単なる「遊民」に過ぎないことになってしまう。
   ↓
  戦さがない時代の「武士の存在理由」とは、いったい何なのか!?
   ↓
2.では、武士はどうすればよいのか?

3.今こそ「職分」について考えなければならない。

4.武士とは…

  ①良き主人を得て、奉公の「忠」を尽くすこと
  ②仲間と交際して、「信」を厚くすること
  ③身を慎んで「義」を貫くこと
      ※義:人として当然行うべき事


   ↓
5.そして、武士たる者は

   人間が守るべき道徳(=人倫)の道を突き進み、

    道徳を乱す者がいたならば、( 1 )をくだして
   天下の( 2 )を保つべし!


     答え( 1 罰  )、( 2 正しさ  )

 ⇒ だから、武士には「剣・弓馬・武術・学問」が必要なのだ!
          <文武両道>という。

   ↓
6.つまり「武士の職分」とは…、
  自分の「人格」を高めることによって、
  人として歩むべき道をみずから実現し、
  百姓・町人の(3   )となることである!


     答え(3 手本  )

top_ver6.jpg



【問3】正しい「武士のプライベート」 です。
  もし妻がわかってくれない時や 
  妻が不都合なことをした時は、
  どうすれば良いか?


A.わかりやすく道理を説明する
B.見なかったことにする
C.怒鳴りつけて、黙らせる
D.斬る

  ↓
◆大道寺友山(だいどうじゆうざん)先生の答え

A.わかりやすく道理を説明する
    → ◎ 武士としてベスト。
B.見なかったことにする
    → ○ 多少のことは許すのが武士。
         武士は細かいことを言わない。 
C.怒鳴りつけて、黙らせる
    → × 大声を出したり、怒鳴るなどというのは、
        武士の身分にそぐわない行為である。
D.斬る
   → ×× 暴力は不届きである。
         非力な女性に暴力をふるうは臆病侍の証拠。
         自分が選んだ女性には尊敬の心で接するのが
         武士。


『さて、自分の「武士度」はどうでしたか?
なかなか武士道が身についてきたようですね。
これからも精進して、立派な武士になってください』

世の中にたえて桜のなかりせば


《授業おわり》

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《 武士道とは何か ② 》

《 武士道とは何か ② 》
長安雅山 「赤穂義士真観/義士討入」 

《前回からの続き》

【問4】は、いくら諫言しても行いを正さない殿様…いわゆるバカ殿でしたね。
さあ、どうでしょう? そんなバカ殿の家来ならどうするのが正しい武士道でしょうか?


  A.黙って従うのが武士道
  B.いつまでも諫言を続ける
  C.幕府に言いつける
  D.殿様を牢屋(ろうや)に閉じこめてしまう

『正解は次の資料から読み取りましょう。』

〔資料2〕
やたらと主君押込(しゅくんおしこめ)をやってよいわけではありません。主君押込をやる場合には、ちゃんとした手続きが必要でした。
まず、殿様がひどい政治をして藩の人々が苦しんでいる場合に限ります。
次に、家老などの重臣たちは諫言して、殿様によい政治をしていただくように何度も頼みます。
それでも殿様が聞き入れてくれない場合、家老や家臣たちは話し合って
「仕方がない。押込をやるしかない」
と決定します。

殿様が大広間などに現れるのを待って、家老たちは一斉に殿様の前に並んで座ります。
そして、こう宣告します。
「お身持ちよろしからず。お慎みあるべし」。
要するに「殿。殿の行いはよくありませんでした。しばらく反省していただきます」ということです。
この押込の宣言をするやいなや、周りの家臣たちは素早く殿様の刀を取り上げて、体を取り押さえます。
そして、そのまま殿様を牢屋(ろうや)に連れて行き、閉じ込めてしまうのです。

押込は、これで終わりではありません。
牢屋に閉じ込めてからも、殿様と家老たちは話し合いを続けます。
その結果、殿様が「改心する」と約束した時は、牢屋から出してあげたのです。
ただし、その際に殿様は「これからは心を入れ替えて、よい政治をする」という約束の文書を書かなければなりませんでした。
さらに、「自分を閉じ込めた家臣たちを決して処罰しない」という約束も書かなければならなかったのです。
これは大事なことで、「仕返しをしない」という約束があるからこそ、家臣たちは安心して殿様を牢屋から出せるわけです。
江戸時代、主君押込は正しいこととして認められ、実際に全国の藩で行われたのです。

 ↓
〔正解〕 D.殿様を牢屋に閉じこめてしまう 
でした。  
驚きですね。では、次の問題です。

【問5】 「正しい殿様」のあり方とは、どんなのでしょうか?
次の資料から読み取りましょう。


上杉鷹山1

〔資料3〕
名君・上杉鷹山(ようざん)『伝国(でんこく)の詞(ことば)』

一、国家(藩のこと)は、先祖から子孫へ伝えていくものであって藩主の私有物ではない。
一、民は国家に所属するものであって、藩主の私有物ではない。
一、国家と民のための藩主であって、藩主のための国家と民ではない。


 ↓ 資料からわかることは…
『正しい殿様とは、国とそこに暮らす民百姓のために力を尽くす殿様です。
実際このような殿様はたくさん存在しましたし、江戸時代はこれが「当然のこと」とされていたのです。
百姓を大切にできない殿様だったらどうなるか…、幕府によって「取りつぶし」になりました』


【まとめ】
◎武士として本当に忠義を尽くすこととは…、


たまたまその時代に藩を治める主君の命令にひたすらに従うのではなく、過去から未来へと続いていく国に対して忠誠を誓うのが、本当の忠義である。

『武士たちは、何が何でも「生身の人間である殿様」そのものに忠義を尽くすというわけではなかったのですね。
実は、殿様という主君の存在を通して、この「お国(=藩)に対して忠義を尽くす」という信念を武士たちが持っていたことは、とても大切なことでした
なぜなら、幕末の危機に直面した時、武士たちは「お国=藩を守る」という考え方から「日本という国を守っていこう」という考え方にスムーズに移行できたからです。
おかげで、日本は近代国家に生まれ変われたのです』

次は、武士道の応用問題です。
「正しい武士の生き方 実践編」をやりましょう。
さあ、君は武士として合格かな!?
楠木正成公勇士の銅像

〈つづく〉

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《 武士道とは何か ① 》

《 武士道とは何か ① 》

中学生に武士道を教えました。
武士道は我が国の道徳規範のひとつです。
しかも、ただの規範ではありません。「美徳」であります。
さらに、「尚武の気風」も学べます。

多感な時期であり、社会規範を学ばなければならない中学生には必須の知識でしょう。

《 授業始め 》

『我が国の歴史の特徴は3つあります。

 1.天皇・皇室を中心に国民がまとまってきたこと。
 2.外国の文化を積極的に取り入れ、換骨奪胎して発展してきたこと。
 3.「武士道」という道徳観が広く行き渡っていたこと、です。


今回は、武士道の勉強です』

【問1】「忠臣蔵」って知ってますか?

【板書】
1702年(元禄15年)12月14日  赤穂浪士討ち入り事件


簡単な解説をする。以下、参照。

忠臣蔵 武士道授業

『主君の恨みを晴らした四十七士は、全員が…、どうしたと思いますか?』

答え『全員、 切腹 しました』

『どうしてでしょうか? 武士道を知らないとこれは理解できません』

演習① 葉隠(はがくれ)武士道

【板書】
武士道とは死ぬことと見つけたり
(=発見した)
  (山本常朝『葉隠』)

【問2】この言葉は、どういうことを言おうとしているのだと思いますか?

  A.武士道とは死ぬことが目的である
  B.武士はとにかく死ぬべきだ
  C.武士はいつでも死ねるべきだ
  D.武士も人間だから、いつかは死ぬ

    ↓
〔正解〕 C …「武士は、常に死ぬ覚悟を持って生きる」 
    その心は → 落ち着いて生きることができる 


『武士にとって最も大切なものを知っていますか?
それは「忠義」です。
忠臣蔵が武士の鑑の話とされたのは「忠」を貫いた「臣」だからです』


【板書】
忠義=主君に真心を持って仕えること
である

【問3】もし主君(殿様)の命令が間違ったものだったり、自分の信念と照らして、納得がいかないものだったら、どちらが武士として正しいこととされたでしょうか?

  A.殿様の命令なので、どんなに納得がいかないものであっても、自分を抑えて言うとおりに行動するべきだ。それが忠義を守るということである。
  B.たとえ殿様の命令であっても、間違っている命令に従っていては、結局は殿様や藩のためにならない。殿様の間違いを正しく直すことこそ、忠義だ。

『正解を資料から読み取ります』
 ↓
〔資料1〕『葉隠』より
Ⅰ. 「気にかなは(ワ)ざることは、いつ迄(まで)もいつ迄も訴訟(そしよう)すべし」
  どうしても自分の信念に照らし合わせて納得のいかない命令であったなら、主君に向かってどこまでも「諫言(かんげん)」して、考え直してもらうように求めるべきである。
(※諫言=主君に意見をして諫(いさ)めること。正しく直すこと)

Ⅱ.「主君の御心入れを直し、御国家を固め申すが大忠節」
  主君の間違った心構えを正しく直し、藩をしっかりと建設するように努力することこそ、大きな忠義である。

    ↓
〔正解〕 B …「諫言は武士の義務である」 

【問4】では、いくら諫言しても行いを正さない殿様だったら、どうでしょう?
例えば、ぜいたくを好み、酒を飲んで遊んでばかりのだらしない殿様で、重税を課すなど酷い政治をして藩の人々が困っている殿様です。
さて、家来ならどうするのが正しい武士道でしょうか?


  A.黙って従うのが武士道
  B.いつまでも諫言を続ける
  C.幕府に言いつける
  D.殿様を牢屋(ろうや)に閉じこめてしまう

● これは難しい! 正解は?

《つづく》


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日清戦争によって朝鮮の立場はどうなったか

歴史の授業で用いた資料です。
日清戦争の結果、下関条約で朝鮮は清国からの独立を承認されました。
そこで、李氏朝鮮の属国ぶりを知ることで、「独立できてよかったね~」という感慨がひとしおになります。
でも、今現在は…。

日清戦争によって朝鮮の立場はどうなったか。

[李氏朝鮮の清国への朝貢ぶり] 
李氏朝鮮は毎年、宗主国の清に朝貢として次の物を貢納することを義務づけられていました。
17世紀半ば頃の記録を読みましょう。

<清国と朝鮮国間で丁丑(ていちゅう)年(1638)3月30日調印の献納物の規定>
 「毎年、次の如く貢納するものとする。
金百両、銀千両、白米一万包(ぽう)、絹布二千匹、苧布(ちょふ)(麻の一種)三百匹、普通の亜麻(あま)布一万匹、大麻布四百匹、精大麻布百匹、大紙二千張(はり)一千巻、小紙一千巻、鋭刀二千振(ふり)、水牛角一千本、模様花延(かえん)(敷物の一種)五十張、染料二百斤(きん)、胡椒(こしょう)十桝(ます)、虎皮百張、海狸(かいり)(ビーバー)皮四百張、青鼠(せいそ)皮二百張等。
これらの献納は、巳卯(きぼう)年(1639)の秋からとする」。
(シャルル・ダレ『朝鮮事情』より要約)

 「このような朝貢に対して、清国も見返りとして贈り物を朝鮮国王に下賜(かし)したが、なにかと理由をつけて停止したり、逆に罰金を科すことも少なくなかった。
例えば、あいさつ状の文章に礼を失した文字があるとして
『罰金銀一万両、貢納の見返り停止三年』
の処分にあったりした。
こうなると、朝鮮の財政はたいへんに苦しくなってしまう。
また、朝鮮へ冊封などのためにやって来る中国人使節をもてなす時、金銀の食器が出されたが、これは使節が持ち帰るのが慣例となっていた。
このように、朝貢国としての李氏朝鮮は、毎年膨大な出費を必要とした」
(呉善花(オ ソンファ)「韓国人から見た北朝鮮」より要約)

『これはこれはたいへんな属国ぶりです。
属国も楽ではないですね。
でも、いざというときに親分に助けてもらうためには仕方なかったのでしょう』


『だから、日清戦争で日本が勝利して朝鮮が独立できた時、朝鮮国はどんなに喜んだことでしょう
次の写真を見てくださいね』

★迎恩門(げいおんもん)

迎恩門

『シナ皇帝の使者を属国朝鮮として迎えていた門です。
名前が「迎恩」とは、ふるってますね。
ここまで朝鮮王自らお出迎えに行ったのですぞ。
相手は中国の一役人ですよ。
そりゃあ、屈辱だったでしょう。
日清戦争で日本が清から独立させると迎恩門は取り壊されました。
だってもうお出迎えしなくていいんですから。
何百年にもわたる長い属国の屈辱を思い出すのは嫌ですからね』


★独立門

独立門0
ソウルの風光・・(日清戦争終結で清の属国から初の独立)独立門と手前の迎恩門礎石

『1898年、独立門を建てました。
「祝・独立」ですね。
門の手前に柱が写ってます。これは何ですか?
そう、迎恩門の柱なのです。迎恩門のすぐ前に立てたのですね。
うれしかったでしょうね。』

『今でもちゃんと残っていますよ。公園に整備されてます。』

独立門25083022731

『記念切手にもなってます。
鎖がちぎれた絵が描いてありますね。
自由ですね。独立マンセー』

独立門 切手に描かれた「独立門」

『ところで、今の韓国でよく見る光景を写した写真を見てください』

独立門の前で日本の総理大臣安部晋三の描かれた旗を切り裂く反日活動家

『日本の安倍総理が描かれた日の丸を切り裂く韓国の反日活動家たちです』
『独立門の前で行った集会の一コマです。
わざわざ独立門の前でパフォーマンスをしていますよ。
これ、どういうことだか分かりますか?』 
「???」
『日本への非難集会をわざわざ独立門の前でやっているわけです。
この人たちは、この独立門は何を記念して作ったと考えているのでしょうか?』

 …

『そう、第二次大戦後、韓国が日本の統治から独立した記念に作った門だと思い込んでいるのです
だからここでやるんです。
でも、これって事実に照らせば、とても変ですよね。
日本に独立させてもらった記念の門の前で、日本を糾弾する集会を開く。
それがおかしいと全然気がついていない。

報道するマスコミも、この矛盾に何も言わない。
国民の多くも日本からの独立門だと信じているからおかしいと感じない。

あの国の行き過ぎた反日教育の結果でしょうね、きっと。
日本は朝鮮に悪辣なことしかしていないと教育され続けていますから、まさか清国から独立させてくれたのが日本だなんて想像もつかないのかもしれません。
いや、もしかして知っている人もいるのでしょうけど、これがまた言えないんでしょうねぇ。


でも恥ずかしいことだから、韓国のおじさんたち、ちゃんと歴史を勉強しましょう、ということですね。』

困ったもんだなぁ、と複雑な笑いを浮かべる子が多い授業でした。
※激怒している子も何人もいました。
  そこで、歴史は正しく学ぶべきだよと言いました。 

《終わり》


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プロフィール

服部 剛

Author:服部 剛
授業づくりJAPAN横浜《中学》の代表・服部剛です。中学校社会科教師です。
授業づくりJAPANは、授業実践を通して「国を思い、先人に感謝し、卑怯をにくむ日本人」「日本人の自由と真実を守るために戦うことのできる日本人」を育てます。
横浜・神奈川の志ある先生の参加をお待ちしています!
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個人的な連絡はコメントからどうぞ。

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